XI 万人が滅び去る夢

エピローグの読み解き…終末論から復活論へ…シベリア流刑の地でラスコーリニコフが見た夢は、ちょっと難解。ある種の繊毛虫が人体に寄生し発狂させて、傲慢と流血が蔓延する…SF的にいうと、ウィルス状のエイリアンが人体に侵入して、互いに争わせ、人類を自滅させる!?(^_^;)「罪と罰」の執筆当時、豚肉に寄生する繊毛虫が発見され、一大センセーションが巻き起こったそうな。ドストエフスキーはこれを、人間のエゴや狂気が荒廃をもたらす(戦争、革命、内戦→憎悪、飢餓、疫病etc.)黙示録のイメージに使ったんだって。
この夢は、復活際前後のラスコーリニコフが病に伏せっていた間に見たもので、例の「非凡人論」を実行に移さざる得ない時代状況を総括し、病気が治ったと同時に心の「憑き物」も払い落として再生の道を開くという展開に。


スヴィドリガイロフと同じく魅力的な人物ポルフィーリィ・ペトローヴィチ。この二人、対称的だけど、どこか惹かれる。それと、ラスコーリニコフの身代わりに自首するミコールカについても記述されてるから、ちょっとメモっておこう。

  • ミコールカ

ラスコーリニコフが落としたイヤリングを拾ったため、逮捕され自白してしまうペンキ屋。ロシア正教の一派で、分離派の中に「逃亡派」というのがあって、ミコールカはそのメンバー。一言で言えば、キリストが受けた苦しみを自ら体験して修行する宗派(ダ・ヴィンチ・コードにも出て来たな…鞭身派?^^;)→終末の都市ペテルブルグで冤罪を受けて苦しむ→アンチクリストの化身である「お上」との戦い。
「逃亡派」という名は、アンチクリストの支配する都市や村を逃れて、荒野や森に逃亡することを解いていたことから。

体制側の人間で、民衆とは隔絶した知識人。最初からラスコーリニコフが犯人として、心理的に追いつめていくカミソリ判事。
スヴィドリガイロフのようなニヒリストでも、ミコールカのような「逃亡派」でもない。この「終末」のペテルブルグに踏み止まって職務を遂行しなければならない…「わたしは出来上がった人間ですよ」が、ミコールカを尋問した後は「わたしは、もうお終いになってしまった人間なんです」と言って、ラスコーリニコフに自首を勧める。ミコールカの終末観と「苦しみを受ける」意味を理解したとの、ドストエフスキー研究家カリャーキンの説→刑期を終えてペテルブルグに戻り、内部から変革するエネルギーをラスコーリニコフに託した。

  • スヴィドリガイロフのペテルブルグ論

官僚族と、あらゆる毛色の神学生(エセ学生)たちだけの町。庶民と縁遠い上流人士の外国かぶれが蔓延。場末では「みなが酔っぱらい、教養のある青年たちが、無為のあまり、実現する筈のない夢やうわごとに情熱をすり減らし。片輪な理論をもてあそんでいる。云々」

  • この章の最後の文

「"逃亡"と"受苦"こそが"終末"から救われる道であると信ずるミコールカに強い同情をかきたてられ、そこにしか救済の道を見出せぬロシアの民衆に惜しみない共感を覚えながらも、ドストエフスキーは不吉な"終末"の予感をあくまでも人間の"知力と意志"で克服することをめざした。『罪と罰』における"終末"はそのような位置に置かれている。それが単なる終末論に終わらず、復活論に如何に結びつくか。それがこの"謎とき"の課題になるだろう」