XII 人間と神と祈り

<信仰と瀆神の間を揺れ動くラスコーリニコフ
幼い頃はまわらぬ舌でお祈りを唱えていた青年が、混乱のロシアの現実を目の当たりにして「神は死んだ!」と、社会から掃き捨てられた極貧の被差別民を人間に引き上げようと志す。彼自身没落貴族で、妹は成金のルージンとの身売り同然の婚約。年金暮らしの母親からの仕送りが途絶えて、学業を続けることも出来ない。
<ポドレーツ(подлец [podlets]):卑劣漢、下にある者、下賤なヤツ>
…神様が一番上に存在してて、虐げられ卑しめられた人間の屑が最下層に位置するポドレーツ。そんなことを許す神様なんて「もしかすると、全然いないのかもしれない」
母にお祈りを頼んだ後、妹には「罪?何が罪だ?ぼくがあの汚らわしい有害な虱を、誰にも必要のない金貸し婆ァを、貧乏人の生き血を吸っていて、殺してやれば四十もの罪障(グレーフ)が償われるような婆ァを殺したことが、それが罪(プレストゥプレーニエ)なのかい?」
ソーニャの妹ポーレンカにも自分のことを祈ってくれるように頼むのだけれど、直後に「蜃気楼なんか消え失せろ、見せかけの恐怖も、幽霊も失せやがれ!俺の人生は、あの老いぼれ婆ァといっしょに死んでしまったわけじゃないんだ!(中略)今は理性と光明の王国なんだ、それから意志と力の…さあ、どうだ!力比べをしようじゃないか!」
<そういった自分自身が「下等な存在」だと自覚する>
「人神論」に取り憑かれて「神なんて張り子の虎さ」と、人間神を地で行くつもりだったラスコーリニコフも、次第に自信がなくなり「こんな俺が、よくもまあ、ああまで思い上がり、自分のことをあんな風に夢想したり出来たものさ。俺は赤貧の徒さ。無価値な男さ。ポドレーツ、ポドレーツだよ!」と独白するにいたる。


信仰心のないわたしとしては、こういう神様論議は難解。全知全能の神ってニュアンスは、永遠に謎かも(ミドルアースのイルーヴァタルがメルコールを野放しにした、本当の目的を探り難いのと同じぐらいに^^;)
どんな社会構造でも、虐げられた民衆が存在する。社会主義ソ連になっても、自由を謳歌している資本主義でも同じこと。国家や宗教の別なくポドレーツがうまれないようにするのが、真の民主主義だと思うけど。被差別民がいるからこそ、テロも無くならない。成功者や戦勝国が正義なんて思い上がる方が、神の怒りに触れるんじゃないかい?
神様ってホントにいるの?←罰が当たったりして(^_^;)