X ソーニャの愛と肉体

ラスコーリニコフが罪を打ち明けるのは、ソーニャでなければならなかった。もはや清廉潔白ではない自分は、母や妹と同等ではない。「新しきエルサレム」に入れない殺人者と淫売婦は、神に呪われたもの同士。
汚らわしい人殺しと、二千年前にキリストによって許された不幸な娼婦を同列に置き、聖書を読ませるのはけしからん!という意見もあるそうな(ロシア文学講義:ナバコフ)…しかし、黙示録22:15に「犬、魔術士、姦淫者、殺人者、偶像崇拝者、嘘つき」は閉め出される(犬って可哀相…T_T…動物的本能で生きる者という意味らしい)」と書いてあるので、この解釈でOKだって。
ということで、この章は彼と彼女が具体的にいつ結ばれたかを検証。二度目にソーニャを訪問して罪の告白をしたときで、このことによってラスコーリニコフは再生の希望、ソーニャにとっては卑しめられ苦汁をなめている自分が人間として生きる縁となるものを取り戻したことになる。
ドストエフスキーがほの暗い蝋燭に照らされる”殺人者”と”淫婦”を描いたとき、農奴制から漸く抜け出ようとしていたロシアの現実に充満する、被差別民衆の大集団を視野に収めていた。その最も無力な代表者がソーニャであり、彼女に肉体を売ることを強いねばならぬほどの貧困に追い込まれた、マルメラードフ家の人々であった。これらの人々が”新しいエルサレム”に入ることを許されるようにすることこそ、ラスコーリニコフが我が身に引き受けた十字架だったのである」と書いてある。


あちらの神様は厳しいな〜と思ってしまう。お釈迦様なら蜘蛛の糸をちょいと垂らしてくれる(かもしれない^^;)
当時のロシアは終末の様相を呈していたのかもしれないけれど、現代は全地球が滅びに向かってアクセル踏みっぱなしに見えるのは何故?…蜘蛛の糸が降りてきたら、ドジを踏まないようにせねば…って、なんのこっちゃ?(^◇^;)