ラスコーリニコフの13日間:十二日目

読めたら良いな〜(@_@)

<7月19日> 
クレストフスキー島で夜を明かす。この日、カチュリーナの葬儀。午後二時、ラズミーヒン立ち寄る。ポルフィーリィが来訪し、自首を勧める。安料亭でスヴィドリガイロフと話しこむ。スヴィドリガイロフ、ドゥーニャを監禁。この後、遊園地、許嫁宅をまわって安旅館へ。ラスコーリニコフ雨中、河岸ををさまよう。

いよいよ運命の日の前日。ポルフィーリィとの最後の対決。
スヴィドリガイロフの唐突な自殺。創作ノートに「スヴィドリガイロフを改宗させることが出来る者があるとしたら、それはドゥーニャではなく、ソーニャだ」と書いてあったそうな。

  • 冒頭部分の痩せ馬殺しの夢について

この夢がとても醜悪で、いつもとばして読んでいた。江川さんは「馬をなぶり殺しにするミコールカを、ラスコーリニコフ自身の分身と察知して、老婆殺しの計画を断念しようとした」と書いておられるので、納得。その後気が変わるのだけど。
<以下「ロシア文学裏ばなし」より>
ドストエフスキーが十六歳の時に、軍使が必要もなく、ただ習慣的に、拳骨で御者のうなじを殴り続け、御者はその腹いせに馬に鞭をふるう忌まわしい光景を目撃した。
旧ソ連時代、ドストエフスキーは反動的変節者と烙印を押された時期があるけれど、マルクス以前のもっと素朴な自然社会主義をめざしていた。「歪みきったアブノーマルなロシアの現実を改めるために、農奴解放、裁判制度改革、検閲の廃止、社会主義思想のロシア現実への適用、民衆の貧困の真因の究明等の焦眉の問題を討議したが、それらすべての問題の根底にあるものとして、もっとも大きな関心を寄せたのは、人間の本姓、人間の使命、人間と社会の相互関係の問題であった。彼等は、人間は生まれた時には善でも悪でもないが、善と悪の可能性の萌芽を持っている。悪は人間にあるのではなく、社会の欠損の中にあるのだという認識に立った。そして人間を歪めている農奴制度や、迫害や、教会の伝承から人間を護ろうとする人道主義的な熱望に燃えたが、その熱望は、空想的社会主義の影響と融け合って、真の人間鑚仰、人間を地上のすべてを支配する唯一の力と見る認識に転化していった。つまり彼等は人間を、宗教意識が神にあたえた多くの属性を備えている、もっとも美しい、もっとも完全な存在として見るようになったのである」←若き日のドストエフスキー
ドストエフスキーの供述書
社会主義は社会体制の幾千の方策を提示しています。そしてそのすべての書が賢明に、熱意をこめて、しかも常に人類に対する偽らざる愛を持って書かれているので、私は好奇心をもって読みました。しかし、私はいかなる社会主義組織にも所属しておりませんので、社会主義のすべての体系を研究しました。それ故私は(もっとも私の知識は完全からは程遠いものでありますが)それぞれの社会主義体系の誤りを見ております。…社会主義ーこれは発酵中の科学であります。これはカオスであります。これは科学以前の錬金術であり、天文学以前の占星術であります。もっとも私としては、錬金術から科学が、占星術から天文学がつくり出されたものとまったく同じように、現在のカオスから、後年、整然とした、深い思慮に充たされた、社会にとって有益な何かがつくり出されるものと思っております」
・ロシアの宗教的社会主義をめざしたが
ドストエフスキーを変節者と見るのは、一面的で正しくない。シベリアの十年間と、その後の借金苦、1860年後半の革命的気運のなか、ドストエフスキーの生涯は、神と社会主義という相反する両極を、スラヴの魂という器の中に融合しようとして、矛盾に引き裂かれ、深まる懐疑に懊悩しながらの、凄絶をきわめた戦いであったと見るべきである」
ついでだから原書の画像も貼り付けておこう(^_^;)←ロシアン雑貨.comさんからお借りしました。残念ながら売り切れ…その方がよかったかもしれない(汗)…○善に注文という手もある…いやいや、やめておこう(>_<)