メモ IV 巡礼歌の旋律

16世紀から19世紀頃までロシアでは、粗末な身なりで地主屋敷、教会の門前、市の立つ場所で巡礼歌を歌って、施しを受けてまわる風習があった。聖地巡礼が源流だそうだけど、内容は聖書や聖者伝。

  • 「神の人アレクセイ」は最も人気のあった巡礼歌

ローマ貴族の息子アレクセイは幼い頃から信仰心が篤く、結婚式の夜出奔して苦行者として放浪の旅に出る。その後身分を明かさずに父の家の前のあばら屋に住み、召使いたちにさげずまれ、両親と花嫁の嘆きにも耐え、二十年間素性を隠して信仰一筋の生活をおくった。彼が死んだ後遺書により、素性を知った両親と妻は、悲嘆にくれた。
つまり、主人公アリョーシャ(アレクセイ)を巡礼歌のアレクセイに擬して、読者の共感を半神話的、民衆的な基盤の上に置こうとしたのではないか?アリョーシャが俗界に出て「神の人アレクセイ」のように屈辱に耐え、神の信仰を貫くという続編が見えてくるそうな。

  • もうひとつ「ラザロの歌」

金持ちラザロが、悪臭を放つ乞食弟のラザロを施しもせずに犬をけしかけ追い払った。絶望した弟は天国のアブラハムに召された。その後地獄に堕ちた兄は、地獄の業火や責苦を知っていたら、弟を追い払わなかったのにと後悔する。
巡礼者は大多数は盲目その他の身体障害者や底辺の人たちで、一見宗教的な内容の巡礼歌に被差別者の怨念をこめて歌っていた。
スメルジャコフは、真相がどうであれ、フョードルの庶子といわれている。アリョーシャたちの異母兄弟で、生まれながらの下僕→「兄弟」であるべき人間同士(ロシア人同士)が支配と服従、差別と被差別の関係に立たされる不合理をから、嫉妬と復讐心を膨らませていた。