「闇の王国・光の王国」

beruthiel2007-08-29

画像は裏カバーの図版
ご存じブリューゲルの「バベルの塔
(1563年頃 ロッテルダム ボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館)


光文社版「カラマーゾフの兄弟 第二部」は、かの有名な「大審問官」とそれに続く「ゾシマ長老の伝記&談話」を集録。イワンの「大審問官」のポエマ(物語詩)の答えがゾシマ長老の最後の談話なんだけれど、私としては長年イワンの方に共感していたな〜(読みが浅いもんね^^;)
あらためて読み直して感じたことは、いかなる思想宗教も、ひとたび組織が出来上がれば膠着する。人類を救うには、常に野(や)にあれってことかな?


唯物史観のイワンの「真に自由な意識に立脚した信仰と、物質的な奇蹟という証拠に立脚した信仰というふたつの信仰のあり方において、大衆がほとんど後者しか認めない」人間観に、
ゾシマ長老は「自分で自分の論法を少しも信じないで、胸の痛みを感じながら、心の中でその論法を冷笑しておられる…じっさい、あなたの心中でこの問題はまだ決しておらぬ。この点にあなたの大きな悲しみがある。なぜというに、それはどこまでも解決を強要するからじゃ…」と答える。


革命前夜であったロシアにて、社会主義の行く末を予言してるような大審問官。でもこれって、現在の社会のあり方と違ってないようなところもある。強き者が「物質的御利益」をばらまいて衆愚を統括し、相反する者を抹殺する…民衆を救うという建前で、民衆を窮地に陥れる。戦争も革命もテロも、当事者には大義名分がある。考えたら、人間の歴史はその繰り返しかもしれない。
それに対するゾシマ長老の生き方は、ひとことで言えば…
「傲慢を捨てよ!」
…なんか「傲慢」ってキーワードは、メルコールにもあてはまるんだよね。カトリックロシア正教。そのどちらでもないわたしには、違いが明確ではないけれど、トールキンドストエフスキーが同じキーワードで「悪」を論じている。
「悪の起源」を考えさせられる二人の文学者であります。


スネギリョフ二等大尉は、マルメラードフより自尊心を持ってて、こっちの方が好き(かな?)
スメルジャコフは、やっぱり不気味…露骨なアリバイ工作。