ラスコーリニコフの13日間:十一日目

工藤さんの訳も面白そう(^^)

<7月18日>
スヴィドリガイロフ、「空気、空気、空気が必要」と言う。母、妹、ラズミーヒンが下宿をたずねるが、不在。

上の画像はこれ↓…単に絵の題材が枯渇したから挿入しただけ(^^ゞ

ロシア文学裏ばなし―虫眼鏡で見た作家の周辺 (中公新書)

ロシア文学裏ばなし―虫眼鏡で見た作家の周辺 (中公新書)

最近駅前の古本屋で見付けたんだけど、プーシキンの決闘事件の顛末など非常に興味深い話題が満載(^^)
…で、ドストエフスキーの項。例のソーニャの「聖書朗読」のところが、出版社によって大幅に縮小改竄させられてしまったんだって(O_O)ドストエフスキーは、借金のため抵抗できなかったらしい。
「ラザロの復活」とエピローグが連動してて、重要なんだな〜とは思っていたけれど、どうもよく理解できなかったのは、このせいか!?(貧弱な読解力を棚に上げて…創作ノートをよく読めばわかったかも…わかんないか^^;;;)

  • 何故改編の必要があったか?

正教と政府の立場を擁護する出版社は、原始キリスト教社会主義は危険思想。「この若い娘(ソーニャ)は教会のミサには行かないし、司祭や修道僧に助言を求めることもしない。霊験あらたかなイコンや聖体のまえに跪拝しようともしない」
こういったすべてを行っていたのは、殺されたアリョーナ婆さんだけ(笑)彼女は、すべての教会の儀式を尊守して、勤行は欠かさずつとめ、死後の財産はすべて自分の永代供養のために修道院に寄付している。つまり国家の宗教、教会キリスト教は、虐げられた側ではなく、虐げる側の宗教ってことに。

  • ソーニャは強い女かもしれない

富と権力を掌握して、新しいエルサレムをつくり、人々を幸福にするというラスコーリニコフの詭弁に対するソーニャの答えが、創作ノートにあるんだそうな。
「でも安楽の中にいたら、富の中にいたら、あなたは人々の貧しさの中から何も見出すことが出来ないかもしれませんわ。神様は、特に愛する者、多くの望みをかけている者に、たくさんの不幸をお与えになりますわ。というのは、不幸の中にいてこそ、幸福の中にいるよりも、人々の苦しみが多く見えるからですわ」